プロフィール

はじめまして、サイト運営者のカズヤです。

数ある中からこのブログをご覧いただき誠にありがとうございます。

 

現在40代後半、平日は仕事、休日は趣味と育児を楽しむ、妻と生まれて

4ヶ月の娘と3人家族で暮らす都内在住のいたって普通のサラリーマンです。

 

とある事情で収入が激減し、いつまでも収入の柱が1つしかない事に

危険を感じ、副業で輸入ビジネスを始めました。

 

本気でやって3ヶ月で10万円の利益を達成し、その後も安定して

残業代以上のお金を稼ぎ、現在はメルマガ、情報発信、個別相談

などを行なっています。

 

お金の心配をする必要がなくなったため、心にゆとりが生まれ、

会社に依存することなく、今でこそ楽しくサラリーマン生活と

育児生活を送っていますが、輸入ビジネスと出会う前の私は、

現状に不満を感じつつも会社に依存することしか出来ず、

変化を怖れていつまでも変わる事が出来ませんでした。

 

成功者の習慣としては「現状維持は退化」と言われています。

現状に満足していないのであれば変わらなくてはなりません。

 

今までやりたいことが有ってもお金がなければ「我慢すればいい」

とずっと思って過ごして来ましたが、とあるきっかけで輸入ビジネス

と出会い、残業代以上のお金を稼ぐ力を身に着けたので、

お金がなければ「稼げば良い」と考え方が180度変わりました。

 

このページでは私がどのようにして輸入ビジネスと出会い、残業代以上の

お金を稼げるようになり、心にゆとりを持つことが出来るようになったのか、

当時の心情も交えながら少しお話しさせていただければと存じます。

 

長くなりますが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。

 

【学生時代まで】

テニス

埼玉県上尾市に長男として生まれました。

妹がいますが、お兄ちゃんだからと何かと我慢するように言われ育ちました。

性格は明るく前向きで穏やかな方だと思います。

 

中学校まで野球部に所属し、縦社会を学びました。

団体競技が合わなかったので高校からは個人競技のテニスを始めこれは今も

趣味として続けています。

 

家庭は決して裕福とはいえなかったため、大学時代は生活費を自分で捻出

しようとアルバイトを複数掛け持ちしていました。

 

新聞配達、塾講師、テニスコーチ、家庭教師、建設現場、ライフセーバー、

警備等々。

結構しんどかったですが、


『お金を稼ぐのって楽しい』

 

そう思った最初の時かも知れません。

 

【とにかくお金に困った20代】

貧困時代

大学を卒業しソフトウェア会社に入りました。給料は割と良かったのですが、

地下4Fのマシン室で夜22時から朝5時という昼夜逆転の勤務で身体を壊し、

2年半で辞めて印刷会社の営業職に転職しました。

 

入って前職より給料が安い事、ボーナスが現金渡しだった事にびっくり

しました。

人事担当の、「給料は1年我慢すれば2年目から上がる」の言葉を信じ

続けて5年程頑張りましたが、給料は一向に上がりませんでした。

 

「口約束は守られない」と自覚した時でした。

 

20代も後半になると仲間の結婚ラッシュでした。

当時は結婚式にはお金をかける時代で披露宴や二次会に毎月のように

呼ばれるようになりました。

 

しかしながら家賃と光熱費を支払うと数万円しか残らず、その中から

更に交際費を捻出するといくらも残らない、常にギリギリの生活が

続きました。

 

正直当時は飲みとかに誘われても

『今日はいくらかかるんだろう? お金足りるかな』

『次誘われたら断ろうかな、でも断ったら2度と誘われなくなるよな』

 

と常に会計が心配で楽しむどころじゃなかったです。

 

友達の事は心から祝福してあげたいと思っていましたが、

招待状が届くと嬉しい反面、

『ああ、今月もまた3万円かぁ・・・』

 

と複雑な心境でした。

 

完全に予想外の出費だったからですが、金銭的な理由で欠席したくない

と見栄を張り、会社から帰宅後近所のファミレスで深夜のバイトをして

繋ぎ、ほぼ全てに出席しました。

 

当時深夜時給が1,000円だったので、1日3時間×20日間働いて

たったの6万円でした。

それでなんとか体裁を保っていました。

 

その頃銀行のカードローンも限度額で、見栄を張るのも限界に

近づいていました。

親には社会人になっても迷惑をかけたくなかったので相談出来ません。

『マジでこれ以上はやばい、どうしよう』


『でもあれだけは手を出しちゃいけないよな』

 

結論が出ず、駅前ビルの屋上で毎日回っている看板を頭の中で

思い出しては消し、思い出しては消しを繰り返していましたが、

遂に心が折れて無人機でカードを作ってしまいました。

 

そうです、いわゆるサラ金です。利息がもの凄~く高いのです。

限度額は50万円でした。

『ああ、とうとう手を出してしまった・・・』

 

カード=打ち出の小槌、ではなく借金なのは理解していたので

借りたものは返さなくてはならないのですが、すぐに返せるなら

最初から借りませんよね。

 

営業中に沢山並んだATMに返済に行く姿が恥ずかしかったのですが、

なんとか利息だけは返していました。

 

すると毎回定期的に返していると優良顧客として認められたのか

限度額を50万円から100万円に引き上げてくれるというお誘いが

あったんです。

 

そう、悪魔の囁きです・・・

『マジで?限度額倍じゃん』

『だったらまだ格好付けられるかな』

 

などとは一切思わず、

当時クレジットで買い物もしたことがない私は怖くなり、

増額を断り次のボーナスで一括返済しました。

 

そしたら

『一体どういうことだ!』

『何か不都合があったのか!』

 

と、もの凄い勢いで電話がかかって来ました。理由を説明し、

丁寧にお断りしました。

 

『マジ、怖かったです』

 

このままではダメだ、と思い3度目の転職を決意しました。

 

こういったこともあって、とにかく

 

『お金を稼がなければいけない』

 

という強い想いが芽生えていったのもこの時期からでした。

 

【頑張って転職したのにクビになった30歳】

クビ

次の会社は前回とはまた違った印刷会社で、会社が社運をかけて

立ち上げたあるプロジェクトに経験者として入りました。

 

仕事はアウトソーシングの提案営業で、主任として迎えられ、

前職よりも給料が良かったので張り切って仕事をしていたのですが、

なかなか契約が取れず、苦戦する日々が続きました。

ようやく提案が通る目処がついたその時事件が起きました。

 

いつものように課長と一緒にプレゼンから戻り、これでやっと結果が

出せると安心しているとに応接室に呼ばれます。

『なんだろう、褒められるのかな・・・』

 

なんてワクワクしながらドアを開けたのですが、

次の瞬間なんと先程まで一緒だった課長から信じられない衝撃の一言が・・・

『お前に退職勧告が出た』

 

そう、いわゆるクビの宣告です。

『えっ、退職勧告?ク、クビ、ですか?』

 

最初課長が何を言っているのか分からず、自分が何を言われたのかを

理解するのに時間がかかりました。

頭をハンマーで殴られたとはこういうことを言うのでしょうか?

『クビってどういうことですか?』

『今さっきこれでやっと一安心だなって言ってくれたじゃないですか?』

 

納得がいかなかったので「社長に直談判させてください」、

とお願いしましたが、既にトップダウンの意見で決定したとの事で何も

聞いてもらえませんでした。

『マジか~』

『頑張ったのに1年でクビかぁ・・・』

 

それからは絵に描いたような退職手続きで引継ぎと次の就職先を探すように

言われ、追い立てられるように退職しました。

確かに実績は作れなかったけどそれは皆同じです。

提案営業も蓋を開ければ既に大手が関わっており、

新たに入る余地はなかったです。

 

社運をかけたプロジェクトに経験者として採用されたため、

誰かが責任を取ることになり、課長は一時代を築いた人との事で

私が責任を取ることになったようです。

毎日頑張ったのにたった1年でクビです。

 

『ちきしょー!』

 

家で大声で泣き叫びました。

 

忘れもしない30歳、まさに世紀末の1999年10月15日の事でした。

 

理不尽でしたが、サラリーマンしかお金を稼ぐ選択肢がないと思い込んで

辞める勇気もない当時の私はただ納得するしかありませんでした。

因みにこの年は結婚も考えていたのですが、私にお金がないせいで破談に

なり人生散々でした。

『ああ、お金がないとこんなにも悔しい思いをするのだな』

 

と思い、

 

『やっぱりお金を稼がなくてはいけない』

『そのためにも次の会社は絶対にいいところに入ってやる!』

 

と固く誓うのでした。

 

【人生かけて再度の転職活動】

再始動

暫くショックでしたが、行動しないと何も始まらないので気を取り直して

転職活動を再開します。

情報誌を見て応募、ハローワークで探したりしましたが、あまり条件の

良い所がありません。

派遣会社に登録して連絡を待っていた所、今の広告会社を紹介され、

今度こそ骨を埋めようと心に誓います。

 

仕事は販売促進で、期間限定で事務局を作り、クライアントの代わり

にキャンペーンを実施運営する事でした。

 

毎日残業で深夜帰宅や休日出勤が続きましたが、仕事自体はやりがい

があったので楽しみながら頑張りました。

 

入って半年間は派遣社員だったので月に締めが2回あり、ずっと

マイナスだった貯金もようやくプラスになりました。

 

『よしっ、やっと追い風が吹いてきたぞ』

 

そう思ってますます仕事に打ち込みました。

 

中途入社7年目・38歳の夏、私のいた事業部が事業会社化して

新会社(子会社)となり出向という形態になります。

出向後は1年で帰任させるという人事との約束が毎年反故にされ、

気がつけば5年が経過し、いつのまにか43歳になっていました。

 

「やっぱり口約束は守られない」と再度自覚したものの、

 

出向中は残業時間が青天井で付けられたので、毎日遅くまで残業が

続いても、休日出勤があっても、ピーク時に月150時間残業しても、

なんとか耐えることが出来ました。

 

しんどいながらも転職が成功し、また当時付き合っていた彼女との

結婚も決まったのでまさに人生の絶頂期でした。

 

『幸せだなぁ~』

 

ただ、この状態はいつまでも続かず、またまたピンチを迎えます。

 

【転籍か帰任か早期退職か】

転籍か帰任か人生の選択

出向6年目・44歳の春、いよいよ帰任と思いきや、4月以降の大事な施策

ということで全員会議室に集められます。

 

『えー、皆さん。本日はお忙しい中、転籍希望者説明会にお集まりいただき・・・』

 

『えっ、転籍希望者説明会?』

『4月以降の大事な施策じゃないの? そんなの聞いてないぞ!』

 

一瞬耳を疑いましたが、まさかの転籍か帰任、

あるいは早期退職のいずれかを迫られました。

 

『もしや、新会社を作ったのはこのためか・・・』

 

両方の人事担当から、転籍すると給料が生涯で2,000万円以上も差が付き、

帰任した場合は同じ仕事は出来ないと説明を受けます。

 

『うーん、生涯で2,000万かぁ。それだけあったら子供1人育てられるなぁ』

『でも戻ってもどうなるか分からないしなぁ。受け入れ先とかあるのかなぁ。』

 

悩みましたが、出向は業務命令ですが転籍は自分の意思で選べること

に気付き、帰任を希望しました。

早期退職は結婚が決まっていたので選択肢にありませんでした。

 

そうした所、私の決断を皮切りに帰任側のネガティブキャンペーン

が始まり、役員面談でデメリットのみ聞かされました。

 

『戻って来てもどこに配属されるか分からないぞ』

『年次の低い奴に教わるかも知れない。あと20年そんなこと耐えられるのか』

 

『お言葉を返すようですが、転籍したら向こうのプロパー社員と給料が同じとか耐えられませんし、生涯賃金で2,000万も差がつくなんて有り得ません。』

 

とは言えるはずもなく、

転籍すると同じ仕事が続けられる。でも生涯賃金に差がつく。

帰任したら同じ仕事は出来ず、しかもどこに配属されるか分からない。

 

どちらも全く先が見えない選択肢だったのですが、転籍してもいいことは

1つもないと思い「結婚」という家庭の事情を理由に帰任しました。

 

帰任後は予定通り結婚したものの、現場から管理系に職種が変わり残業が

なくなったため、年収ベースで3桁も激減することになります。

新たに家族を持った身としては大問題です。幸い受け入れ先はありました(汗)

 

『や、やばい、やっていけるかなぁ』

 

守る者が出来たため、一家の主として家族を路頭に迷わす訳にはいきません。

結婚と同時に妻のために一戸建てを購入したので、このまま給料が下がった

ままだとローンの支払の心配も浮上して来ました。

 

『このままではまずい、かといって20代の頃の貧乏生活にはもう絶対戻りたくない』

『でもサラリーマンしか選択肢はないしなぁ』

 

そこで、初めて色々とビジネスについて検索する事になるのです。

 

【輸入ビジネスと出会う】

帰任して結婚して残業がなくなり、現場の時よりは早く帰ることが出来る

ようになり健康な生活を送れるようにはなったと思います。

 

しかしながら時間は出来た反面、大幅に収入が減ったため、空いた時間に

何をするかが重要になって来ました。

 

そんな風に思っていたある日、何気にテレビを見ているとこれからは副業

の時代と放送され、本業の他に副業を認めている企業が紹介されていました。

 

そっかぁ、これからは副業の時代かぁ、なんて思っていましたが、

でもうちは副業禁止だから関係ないなぁと思いつつ、試しにネットで

「副業 在宅ビジネス」と検索した所、色々なものが有る事が分かりました。

 

ここに来て初めて将来のことを真剣に考えるようになります。

・今の会社でこのままでいいのだろうか

・勢いで1日で買った家だけど支払が続けられるだろうか

・サラリーマンである以上時間に拘束されるのは仕方ないけどもっと自由な時間が欲しい

・今から頑張ってどこまで出世出来るのだろうか

・子供が生まれたらもっとお金が必要になる、今のままで育てていけるだろうか

・毎日会社で同じ作業を定年まで続けるのは果たして楽しいのだろうか

・自分の本当にやりたいことはこれだったのだろうか

等々

一度考え出すとキリがありません。

 

散々悩んだあげく、「いつまでも収入の柱を本業の1つだけに頼っていることは

この先非常にリスクが高い」という結論に達し、まずは自分で出来そうなものを

やってみることにしました。

ただし、独学だとどれも続かず上手く行きませんでした。

 

●独学で試してみた副業の数々

・アフィリエイト(自己アフィリエイトを含みます)

・ポイントサイト

・アンケートモニター

・ランサーズやクラウドワークスなどのクラウドソーシング

・転売(輸入)ビジネス

等々

副業も色々ありますね。

 

どれもこれも上手く行かず悩んでいた時に「安く仕入れて高く売る」という

至ってシンプルなビジネスモデルを家族がヤフオクやメルカリでやっている

ことを知り、それがインターネット上で全て完結出来る「輸入ビジネス」

だということを知りました。

 

それからは、「輸入ビジネス」で検索をかけ、ヒットした色々な人のブログ

や無料レポートを約1ヶ月間読み漁り、そこで当時圧倒的なコンテンツ量と、

丁寧な動画解説で衝撃を受けた方(以下メンターと呼びます)のメルマガ

に登録し、企画に入り、そのメンターを通して『中国輸入ビジネス』

出会うことになるのです。

 

 

【中国輸入ビジネスとは】

『中国輸入ビジネス』は小資金で始められ、中国から輸入した商品を日本で

圧倒的な集客力&販売力を誇るAmazonを使って販売するビジネスです。

商品発送までの作業を半自動化が出来ます。

 

自動化出来るなら帰宅してからの時間で出来そうだし、自分でも出来ると思い

興味を持ちました。

しかし、自分一人でやっていてもそれが本当に正しいのかも分かりませんし、

間違った方向性は時間の無駄にも繋がります。

 

最も効率的なのは

 

『実際に稼いでいる人から教わること』

 

です。

 

そのための自己投資は必要かと思います。

 

私は、その道のプロフェッショナルのメンターに教わる事にしました。

 

やると決めたからには実績を上げるまでは絶対にやめないと継続し、

毎日帰宅後にリサーチ(儲かる商品を見つける作業)をして3ヶ月間

仕入と販売をひたすら繰り返し、10万円の利益を達成しました。

 

実績を出すのに私が意識したことは

① 本気で3ヶ月間やってみる

⇒本気になれば人間変われます。

 

② 毎日リサーチする

⇒継続は力なり。量をこなせば自然と感覚が身に着きます。

 

③ 実績が出るまで続ける

⇒諦めず、やり続けたものが成功者です。

でした。

 

ある程度の時間はかかりますが、きちんとやっていけば必ず実績が

出るようになります。

一度利益を上げると面白いもので、今度はより少ない作業量で稼げ

るようになり、今では1日に1~2時間の作業で毎月安定して残業代

以上の金額を稼げるようにもなりました。

 

利益は仕入れた数に比例するため、更に利益を増やしたければ沢山

商品を売ればいいので20万、30万と増やし、現在の収入を倍にする

ことも可能かと思います。

 

私は、自分が結果が出たからすすめる訳ではありませんが、

輸入ビジネスとしては『中国輸入ビジネス』をおすすめします。

 

理由は以下の通りです。

 

【中国輸入ビジネスをおすすめする理由】

・パソコン1台とネット環境があれば自宅でもカフェでも24時間作業が出来る

・Amazonという圧倒的な集客力&販売力が利用出来る

・小資金で始められる

・収益性が高い

・正しいやり方でしっかりと継続できれば誰でも稼ぐ事ができる

等々

 

詳しくはこのブログかメルマガで解説していきますので良かったら

登録してみてください。

 

また、『中国輸入ビジネス』で自由に稼げるようになったことで以下のような

選択の自由が生まれ気持ちにも生活にも余裕が出来ました。

・買いたいものが買えるようになる

⇒好きな時に好きなものが自由に買えるようになりました

 心配だった家のローンも問題なく返済出来ています

 

・収入の柱が増えるため会社に依存しなくなる

⇒会社に縛られることなく会社生活を送ることが出来ています

 

・人に優しくなれる

⇒気持ちに余裕が出来たため人に優しく接することが出来ています

 

・イライラしなくなる

⇒めったなことでイライラしなくなり毎日を穏やかに過ごしています

 

・人に感謝するようになる

⇒教えていただく事の有難味が分かるようになったため人に感謝するようになりました

 

・人に感謝されるようになる

⇒同じような悩みを抱えている人に教えることが出来るようになるので人に感謝される

ようになりました

 

『中国輸入ビジネス』と出会わなければ現状が良くなるはずもなく、

「サラリーマンとして一生会社に依存しながら生きていくしか選択肢はありませんでした。」

 

人間はなかなか変われない生き物ですし、現状維持が心地良いです。

私もずっとそうでした。

 

現状維持は無意識に行なう自己防衛とも言えるのですが、現状に満足していない、

より良い生活に変えたい、夢を実現したい、と思っているのであれば一歩踏み出す

勇気が必要です。

 

収入の柱を1つではなく複数持ち、安定して稼ぎ続けることで

 

『いつでも好きな時に、好きな事を、好きなだけする生活』

 

を送ることだって近い将来可能だと思っています。

 

 

【終わりに】

ちょっとだけ想像してみてください。

もし、副業で毎月10万円得られるようになったらあなたは何をしますか?

 

・恋人や家族といつもとは違った高級料理店で食事をする

・好きなブランドショップへ行きショッピングを自由に楽しむ

・行きたい所に旅行に出かける

・勉強のため更なる自己投資をする

等々

きっと色々な選択肢が増え、心の余裕が生まれると思います。

 

そんな未来を送ってみたいと思いませんか?

 

繰り返しになりますが、「現状維持は退化」です。

 

私も今はまだサラリーマンですが、将来の夢は起業し、いつでも好きな時に

好きなことを好きなだけ送ること、私と同じようなお金の心配をしている

人達の悩みを解決し、一緒に働ける仲間を作ることなので現在はそのことを

目標に日々勉強し続けています。

 

私が変われたのだからあなたもきっと変われます。

今度はあなたの番です。

 

これは私が大切に思っていることなのですが、最後にこの言葉をお贈りします。

 

『失敗するかもしれないという恐れよりも
挑戦をしないことをこそ恐れるべき』

 

今はまさにそう思います。

 

サラリーマンをしている以上時間には拘束されますが、空いている時間を使って

しっかりやれば必ず残業代以上のお金を稼ぐことが可能です。

 

もし、よろしければ私にあなたが変わるお手伝いをさせていただけませんか?

大切なのは最初の一歩です。

 

 

これからこのブログでは副業で月10万円の収入をプラスできる情報を私が

出会った『中国輸入ビジネス』を通して惜しみなくお伝えしていこうと思います。

 

 

このブログが少しでも、あなたの一歩を踏み出すきっかけになれば幸いです。

最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。